タブラ奏者 指原一登 オフィシャルサイト

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前に進むための足枷になっているネガティブ要因

sashihara_solo.jpg
photo:浮花



前に進むためには、足枷になっているネガティブな要因も洗いざらい検証する必要がある。

「インド音楽とはなにか?」

上の記事で、落語を例に挙げて「まずはスタートラインに立つこと」と書いた。





**

「インド音楽」が生まれるスタートライン。

今はまだマイナスの域にいて、プラスの側には進めていない。

「インド音楽」はまだ本当に生まれはじめていない。

ただ、プラスに近づく方向にシフトはしている。

それが現状認識。


いままでは?

それはマイナスの領域の中で、更にマイナス方向に向かっていたと言ってもいい。

「インド音楽」そのものからどんどんかけ離れて行く方向。

どういうことか?

本来の「インド音楽」と、実際に自分がやっていることがあべこべになっていたからだ。




**

なぜ伝統の世界に師弟関係があり、人前で芸事を披露するに当たり、師匠の許しを得る必要があるのか?

「インド音楽」は、伝統の世界である。

技術10-15年、音楽の型10年、その先に大海原のような表現の世界が広がっている。

そこには、どこからが「インド音楽」と成るかの明確なラインが存在している。

脈々と受け継がれる師弟関係の中で、そのラインが守られ、伝わり、現在がある。

では、自分がその伝統の定石に則って来たかと言えば、否だ。

日本では、そんな伝統の厳しい基準と無関係に、誰もが自分勝手に演奏を始められてしまう。





**

ここで、ぶっちゃけてはっきり言えば、我々外国人は、彼らインド人から見ればお客さんのようなものなのだ。

背負うべきインド音楽の伝統とは、基本的に無関係な人たち。

言わば別枠なのだ。

インドの伝統音楽を学ぶのに、インドに師匠を持つ、というのは前提として自然なことである。

学びたいといって皆やって来るわけで、基本的には受け入れられはするけれども、「インド音楽」的には実際のところお客さんである。

文化的背景、価値観、哲学、歴史、伝統的な師弟関係はそういうものの上に成り立っているので、外国人が本当にそこまで入り込んでいくのは難しいところもある。

もちろん、各国で熱心に広めようと活動しているインド人演奏家も沢山いるし、。

自分自身も師匠のことは慕っているし、世界中で教えてもいるので、各地の弟子や生徒達にも慕われている。

そういう代え難い関係はあるにせよ、外国人が普通に通い生徒として学んでいるだけでは、一生、その音楽の核心的なところについてまでは教わることはないだろう。

なぜなら、大概は技術10-15年の域で終わってしまうからだ。

彼らは経験上それを知っているし、大方の生徒自身もその域で満足して、有り難がってもいる。

そこを超えるためには、正論としては、インドへ移住し、師匠に10年以上付いて学ぶこと以外にない。




**

師の許しという話にもどる。

伝承とは、技術と型の継承だ。

それが出来て、そこからは自分の表現を見つけていきなさい、というのが師匠の許しを得るということだ。

伝統を守るという上で、一番核となる部分である。



**

誰もが自分勝手に演奏を始められてしまう日本で、自分自身も勝手にステージに上がってきた。

それこそ以前の記事で挙げた、落語の例の「コンーヤハヒーエルネ。ソバデーモクウカ」の世界だ。
http://kazootbeat.blog47.fc2.com/blog-entry-467.html

「そもそもインド音楽ではない」

師匠の指摘も許しとも関係ない世界だから、本来あるべき型も守られていない。

だけどそれを「インド音楽」として、お互い「素晴らしいね!」などと言ってやっていれば間違っていくのも当然だ。

これを妄想の世界とも言う。

初めて楽器同士合わせて練習出来た時というのは、誰でも楽しいものだ。

ただ、まだ何も知らない段階でステージに上がり、誰にも正しく指摘されず、それを「インド音楽」としてやっている気になるということを続けてしまえば、とんでもない妄想の世界に入り込んでしまう。

最も危険な点は、本来大事な『インド音楽の本質』の部分が聴こえなくなっていってしまう、というところだ。

本質を聴いてしまえば、「そもそもインド音楽ではない」となってしまうからだ。

それが、マイナスから更にマイナスへ向かうスパイラル。

誰にも指摘されず、曖昧な基準で、表面的なところだけしか聴こえなくなっていく。


なぜ師弟関係が重視されるのか?許可が必要なのか?の意味がそこにある。




**

ずっと書いているように、自分は「インド音楽」を求め続ける一行者に過ぎない。

タブラという楽器の楽しさ広め、持てる知識をシェアするために、タブラ教室は主宰しているけれども、「インド音楽」そのものを教えるなどということは、本質的に出来ることではない。

ただ、この妄想世界と負のスパイラルを切り抜け、突破し、「インド音楽」へ向かう道と、オープンに交流出来るフィールドをこれから拓くことが出来たなら、今後同様に、間違った方向、妄想の世界、負のスパイラルに、人が陥らないための一助にもなれるかもしれない。


、、と思うけど、そんなのは蛇足だ。


感動する「インド音楽」を実現して世界中で交流したいっていうのと、タブラが上手くなりたい、ただそれだけ!


蕎麦なんか食ってる場合ではない!


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