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伝統継承の作法 〜インド音楽じゃ食えない〜

「観阿弥・世阿弥から約700年、観世流二十六世観世清和のことば」





日本にも約700年、
様々な時代、室町時代、戦国時代、安土桃山、江戸時代、開国、世界大戦、敗戦等を経て、
21世紀の今も続く伝統がある。

世界最古の演劇で、ユネスコの世界無形文化遺産にも指定されている能楽。

http://www.nippon.com/ja/views/b02801/





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室町時代より続く二十六世観世清和さんの伝統に対する見解は、


・「長い歴史の中で、伝統の枠に縛られれば縛られるほど、
  それを打ち破っていこうとするエネルギーが生まれてきた」

・「そうしたパワーがないと、演劇としての魅力を失っていってしまう」

・「守るために攻めるという葛藤の連続があってこそ、今日まで伝統を伝えることができた」



そして、芸に関しては、



・「一番大事なのは、おのれの芸を磨いて、おのれの芸を到達点へ持っていく」

・「教わって学んで、自分で昇華して、その結論を出していかないと駄目だ」



それは、


・「コピーでは生きた芸として伝わらない」


という言葉に集約されている。

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能楽に限らず、インド古典に限らず、世界中の様々な芸能が、何百年と生き残るには、
途方も無い試行錯誤と創造性が必要なのだ。



日本では、インド音楽を「悠久のインド」「神秘のインド」などと言ってきた。

でもそれは、長い伝統を守っていくこととも、そのために必要な打ち破るエネルギーとも、
攻めの葛藤、生きた芸とも切り離された別ものだ。


今のようなインターネットもなく、インドがまだ遠い国だった数十年前までは、
「悠久」「神秘」「神々の」といった表面上の言葉が通じてしまう環境があったかもしれない。。
にわか仕込みでも、好景気やバブルの頃は、それでお金も動いたかもしれない。。



でも、もう完全に無理でしょ?


今の時代には完全に通用しない。



情報も動画も世界中で見れてしまう世の中にあっては、
それを別の音楽として発展させていく(発展させていく意志とエネルギーがあれば)ということは可能でも、
「インド古典音楽」というからには「インド古典音楽」であるもの以外は
「インド古典音楽」としては通用しない。



インドでも、巨匠から、そして現場のミュージシャンから聞く言葉は、


『コピーをするな。いい演奏から沢山学び、生きた音楽を演奏しろ。』





二十六世観世清和さんも、さずがに「悠久の能」「神秘の能」とは言わないであろう。


動画の中では、伝統継承の作法として、
「良い形で受け継いでいってもらうために、能楽の開かれた世界を自分が構築させて頂く」
という意味のことを言っている。


とにかく、まず世界が閉じていては駄目、
外に開いていく力と、開かれた世界が必要なのは間違いない。



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