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インド音楽じゃ食えない。

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インド音楽じゃ食えない。


日本では、もう何十年もそう言われ続けてきて、それは、もはや当たり前の前提にすらなっている。そして誰もそれに疑問すら持たなくなっている状況がある。

その状況で、疑問すら持たれず取られてきた方法というのは、

・「悠久のインド」「神秘のインド」というイメージを打ち出す。
・ いかに高度な伝統音楽であるかを説明する。
・ 愛好家同士の内輪で盛り上がる。


というようなものだけど、果たして食えるだろうか?



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仕事になるということは、社会の中に価値を生み出し、提供し納得してもらうということだ。

食えないということは、そこに価値は生まれていない。価値はないということだ。


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日本でのインド音楽のあり方、現状を客観的に見たときに、問題点は大きくふたつに集約される。これを具体的に見てみる。



1)環境がクローズである。

・時代がこれだけ変化しているにも拘らず、「悠久のインド」も「神秘のインド」も60、70年代のヒッピー時代からアップデートされないコピーである。

・高度な体系や理論、伝統の厳格さなどを説明することは、敷居の高さを感じさせはしても価値にはつながっていない。

・内輪と外の温度差、スピリチュアルや哲学との結びつきやすさ、そして衣装などの視覚的イメージも、温度差を広げ壁を高くすることに貢献している。(外界との壁が高くなればなるほど、内側にいる人間にとっては居心地がよい、という原理がある。)

・しばしば日本社会の特徴としても見られる部分だけど、世界に対してクローズであるということ。インド音楽は「今ここで生まれる音楽」としての性格が強いため、世界中、特にインドでは、どんどん新しい試み、試行錯誤が行われ、次代へつながる活力が生まれている。だけど、そういうリアルな現場と関係のないインドに行かない活力のないインド音楽が蔓延している。



2)力量不足

・1)の結果であるとも言えるけど、一般の音楽リスナーの耳から認められる音楽レベルに達していない。

・インドとの関係が希薄なため、本来のリアルな音楽に必要な表現力や活力が内包されていない。結果、価値の生まれるべき表現、音楽レベルに達していない。

・理論をいくら守っていても、イマジネーションがなければ「今ここで生まれる音楽」は生まれない。この部分は、リアルな現場で体験として身につける必要がある。




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実際、上述の点はみんな繋がっているし、同根でもある。世界の潮流からみると、日本の状況はガラパゴス状態の危機にある。また、食えない食えないと言いながら、何もせず、内輪だけで楽しくやれたらいいというのは、沈んでゆく船の中で、窓の外の現状を見て見ぬ振りしているに等しいと言える。


成立しない。



現状を打破する必要があるのなら、考え方もやり方も変えなければいけない。

では、いかにして取り組むか?


そこが本丸だ。


また続きを書いていきたい。



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