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『守・破・離』


『守・破・離』


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わび茶を完成した千利休(1522-1591)の教えを、和歌の形式にまとめた「利休道歌」 (りきゅうどうか) のひとつに、


『規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな』


という歌がある。

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「規矩(きく)作法」とは、規範、決まりごと、作法のこと。

「守」とは、こうした決まりごとや、作法、あるいは基本となる「型」を正しく守りつつ修行し、それをしっかりと身につけることを言っている。あるいは師から伝えられたことを、とにかくしっかりと守ること、という意味も含まれる。

「破」とは、こうした基本や型を自分なりに工夫し、自らのスタイルを見つけること。

「離」とは、「破」の段階を過ぎ、こうした自分のスタイルにさえとらわれない自由な境地のこと。

と述べたもの。



この歌から引用したと言われる『守・破・離』という言葉は、特に師弟関係を重んじる芸道や武道の世界で、稽古や修行の段階を表現するものとしてよく用いられる。

まず基本をしっかりと身につけ、その上で自分独自の世界を作り上げ、最後は何事にもとらわれないような自由さを獲得することこそ、修行の目的である。そしてそんな最高の境地になっても大切なのは基本である。つまり、修行をする上で、進むべき各段階を示し、最高の境地に達したとしてもやはり「本(もと)」、つまり最初の基本を「忘れるな」という意味だ。


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インド音楽の世界も、全く同じだ。

先のインド修行で見て来たこともそうだ。「守」を経た沢山の優れた若手奏者が、自分のスタイルや居場所を求め「破」を通して凌ぎ合う。そして自己のスタイルを確立した巨匠でさえ「離」も求めて進化し続ける。

これは、レベルがどうだからとか、巨匠だから違うとか、そういうことではなく、どの個人も踏んで行くべき道だ。

ムンバイで先生が言っていた。

「師匠と比べれば、自分だって未熟だ。でもそれぞれの道を最前の努力で進んで行くだけだ。」


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『守・破・離』の中でひとつポイントだと思われること。

それは、自分の知らない新しいものを取り入れようとするとき、「規矩(きく)作法」つまり規範、決まりごと、作法のことなどを、とにかく覚えようとする。これ自体は、その先に進むために必要不可欠な行為であるけれども、往々にして先人の言葉や教科書に書かれた文字をそのまま頭に入れ込むだけの作業となることがある。そして、「目的のための基本の大切さ」を見極める作業を忘れがちになる。この本質の部分を理解しない限り、その先の「破」「離」に進むことはできないということだ。覚えること、学ぶこと、「守」それ自体が目的となってしまうと、その道の本質から外れてしまい先に進めない。


ここは、インド音楽を、特に日本人も含め外国人がやる場合に陥りがちな点だ。まず「守」の過程が困難というのもあるだろう。でも、それではやはり本質から外れたものになってしまう。「守」の先がないから、その過程の知識を消費する側に回ってしまう。


この『守・破・離』というサイクルは決して一巡のものではなく、「離」の先にもまた基本があり、新しいプロセスが始まるという。


目的と道を外れることなく進んで行きたい。

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