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「暗黙知」から「形式知」

音楽をあきらめながらやっていくのは嫌だ。
インド古典音楽じゃ食えない... インド古典音楽は伝わらない...

どうしてそういうことが常識みたいに言われ続けているのだろう?


そこには夢も希望もない。先も見えない。
だけど夢や希望を伝えるのが音楽そのものなんじゃないだろうか?




リンクの講演は、元々農家ではない人が悪戦苦闘して有機農業に取り組む話。
https://www.youtube.com/watch?v=b12CCnWzZbg

文字版リンク
http://logmi.jp/23123

経験を積み重ねて身体に覚えさせる「暗黙知」という発想から、分析して「自分のやっている行為を一回外部化することで冷静になり、そのメカニズムを理解する」という「形式知」の形に落とし込む。

考え方として、インド古典音楽にも置き換えられるんじゃないかと思う。


インド古典音楽は、文化を背景にした環境で、子供の頃から習い始め、優れた音楽家や聴衆に囲まれながら、民謡や舞踊・宗教音楽・大衆芸能・哲学・神話など全て含めた環境の中で成長し、ゆっくりと体に染み込ませていくもの。
つまり「暗黙知」の世界。

でも外国人としてインド古典音楽を学び、演奏し、聴き手を満足させるためには、ゆっくりと体に染み込ませて成長する方法では、やはり無理がある。

聴き手にも、神話や哲学や文化的経験値がないのに、「素晴らしいんです!美しいんです!面白いんです!」と言っても伝わらないし、インド風みたいな雰囲気だけ作っても、それは雰囲気であって音楽そのものではない。


野菜も本当に美味しいものは、有無を言わさず美味しいし、体にみなぎるエネルギーだって感じることができる。


でも、インド音楽の背景となる文化的環境で、子供の頃から体に染み込ませて成長していない外国人が、本当に体にエネルギーが漲るような感動的な音楽を演奏することが出来るんだろうか?

それには、「長い年月をかけて体に染み込ませる」方法でなく、冷静に分析してメカニズムを理解する、つまりインド音楽の「音楽の本質」をイマジネーションを使って見つけ出していく必要があるんじゃないだろうか?
「形式知」に落とし込んでいくということ。

師匠から習ったフレーズやCDからコピーしたフレーズを並べていくだけでは、到底音楽の本質を掴み、表現していることにはならない。


インド音楽自体も、古くは神話を語るものから、中世では宮廷音楽、近代では大衆の中のハイアートとして、表現の手法は変化している。
実際、様々な時代の変化を伝統として生き延び、世界中に広がっている音楽だと思う。


インド古典音楽を演奏するには、ラーガやターラの専門的知識や技術が必要だけど、その知識がなければ聴いても分からない音楽なのだろうか?
それは「インド音楽の共通言語」の部分ではあるけれど、もっと音楽それ自体の本質的な成分があるんじゃないだろうか?

なんとかそれを見つけ出し、感動の伝わる音楽を演奏をしたい。
もっと緻密な分析とイマジネーションが必要だ。
その先に開ける未来はあると思う。

タブラの前に座って毎日そんなことを考えたい。

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