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「インド古典音楽」?

street_s.jpg

インド古典音楽の美しさに触れる演奏をまた聴いてしまった。

Steve Oda
この人の音楽の美しさにはもっと沢山の人に触れてほしい。
10/1(水) に大塚で一緒に演奏させていただきます。
https://www.facebook.com/events/581260522000527/



ともあれ、これでまたかねてよりの疑問が自分の中で肥大してしまった。
「インド古典音楽」
この言葉に対する違和感。
今自分がやっている音楽はいわゆるこれなのだが、やっていることを言葉として表現するときにいつもしっくりいかない。
自分がやっている音楽と「インド古典音楽」という言葉が一致しない。
なぜだろう?なんだろうこの違和感は?
という思いをずっと抱き続けている。

もしかしたら言葉の認識に対する個人的な主観の問題だけかもしれない。
でも自分が感じてる美しさや感覚・マジカルな刺激やカッコ良さは、自分自身ではこの言葉から感じない。
思うに実際一般的にはむしろその逆のイメージですらあるんじゃないだろうか?

古典っていうのもなんとなく古くさい感じがするし、インドも未だにヒッピーとかスピリチュアルとか神秘的な響きや謎めいたイメージがつきまとう。

そういう部分もあるかもしれないし、確かに初めて行った時のカルチャーショックはひどかったけど、日本と大きく違う環境で長い歴史のなかで生まれた哲学や宗教や知恵や価値観は、宇宙語みたいにぶっ飛んだインパクトはあるのかもしれない。

インドの伝統音楽を演奏する上では、歴史的バックグラウンドに関する見識や勉強は不可欠だけど、でも正直僕自身が感じてる面白さはもっと音楽そのものにあって、それ以外のイメージは結構余計に感じてる。

別に新しい言葉をつくるとかそういうことでもないし、ヒンドゥスターニー・ミュージックとかサンギートとか言い換えてもなんだか伝わる気がしない。


単に音楽として伝わるっていうのが理想だし本物であれば当然伝わる。
でもイメージが邪魔して聴いてもらうに至らないケースが多い。
打破したいのはこの部分。

この長編の音楽を聴いてもらえる「力」となるものってなんだろう?

古典とか伝統とか即興音楽とか摩訶不思議感が自分の力量不足の言い訳や隠れ蓑になっているようなレベルではもちろん伝わらない。これは大前提。
でも技術に限ってしまうと、インドでも技術偏重で超絶一辺倒の演奏はやっぱりマニア向けになってしまってる。インドの人々が好きなのは歌。でも日本では言葉の意味が分からないし神話のストーリーも知らない。

当たり前だけど、映画もただ上映すれば人が観てくれるわけではないし、小説もただ書けば売れる訳ではない。
インド音楽ももちろんただ演奏するだけで誰かが聴いてくれるわけではない。



90分をテーマにヨシダダイキチさんと先月演奏しましたが、今週再び「めくるめく90分」として演奏します。
今回聴いてほしいのは「真夜中の静寂から生まれる物語」。

2014年9月19日(金)
『ヨシダダイキチ x 指原一登』

【場所】高円寺 ぽれやぁれ
【時間】開場18:30/開演19:30
【料金】2500円
【主催】HEAT bEAT MUSIC
【問合】heatbeatmusic.mail@gmail.com

https://www.facebook.com/events/277324752476012/


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