タブラ奏者 指原一登 オフィシャルサイト

新着情報・ライブ情報・ブログは、新オフィシャルサイト kazutosashihara.com へ移行しました。HEAT bEAT MUSIC 主宰。公演企画・タブラ教室の運営を行っています。

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「リズム・グルーヴを自分で歌わない」今ずっと練習しているところ

山北個人塾


リズムグルーヴを自分で歌わない」

これが、今個人的に課題にしているところで一番難しい部分。

「言葉と音を分離させる」

これが、今ずっと練習しているところ。




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冒頭の「リズムを歌わない」というのは、山北健一さんが「山北塾」の中でも言っていたこと。

基本的に、タブラは言葉として習得していく楽器であるし、リズムを歌わせていくには歌心がすごく大事。

それはそれで、最終的にものすごく正しい。自分でもそのつもりで練習してきたのだけれど、現時点では、タブラ言葉である「ボル」と言うものに必要以上に引っ張られてしまって、それが次のステップに進む障壁になっている。

どういうことなのか?というと、言葉にそれぞれの発音、音色に豊かな違いがあるのと同じように、タブラという楽器も良くその特徴を表現出来る長所がある。実際タブラの音を聴けば、言葉に聞こえてくる。

反面、豊かな余韻や表情、長さの違う音を、言葉としてでなく、記号のように粒を揃えていくのはなかなかに難しい。

ただ、グルーヴを作り上げていく上では、本当に綺麗に音を揃えていくというのが究極的に大事。

そして自分でも気づかないほど大きく言葉に影響されている部分が、そこを超えられない原因だったということに気づいた、ということなのだ。




**
これは、山北健一さんと「山北塾」を含め活動してきた中で気づかされたものでもあって、一からやり直さなければこの先には進めないという認識が今自分のいる地点。

そして、その辺りを徹底的にコーチしてもらうべく、今日は山北さんに個人レッスン「山北個人塾」をお願いしました。

ぶつかり稽古のように、実際に音と音を合わせてもらって、初めて得られる感覚的な情報量は本当に膨大なもの。

今までと比べても、聴けている音も感覚も確かに違ってきてはいるけど、「言葉と音を分離させる」というのは、インストールした言語を入れ替えるようなもので、なかなか大変です。

ただ、レッスンでそのヒントと練習法、具体的道順を示してもらえたことで、また前に進める光が見えてきたと思っています。

山北さん、どうもありがとうございました!




今年の、そしてこれからの目標である「環境創り」

常に道標の見える「環境創り」

これが、なにより大事だなと感じています。




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次回「山北塾」は3/4(金)!
https://www.facebook.com/events/986245368136841/

「山北個人塾」のお問い合わせは、
yamakita@rf6.so-net.ne.jp まで。

| 音楽 | 22:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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2016「環境創り元年」

富士山_s


新年明けましておめでとうございます!



昨年は、年初のインドに始まり、沢山の出会い・縁・経験に恵まれました。

お世話になった方々、また応援してくださった方々には大変感謝しています。

目指すべきところへ向かうために、昨年一年かけて取り組んできたことで、自分なりに見えるもの聴こえるものが変わってきているのを実感しています。

でもまだまだここから。



2016年は、ずばり「環境創り元年」になると思っています。





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「環境」は一人だけでは創れないし、出会う人関わっていく人全てがその「環境」の要素になってくる。

将来的に創っていく、インドともオープンに交流し、学び、価値を高めていける「環境」

そのためにまず変えていくべき自分自身を置くべき「環境」

「インド音楽」、それは、自分が出会ったのがたまたま「インド音楽」であると言えるけど、その先には、カテゴリーを超えて人とリンクしていけるものを生み出していけるものがあるはず。

それを創っていくことが「環境創り」


今その「環境」にないということは、逆に「環境」がある状態からみると、何も出来ていないということ。

何も出来ていないということは、ネガティブなことではなく、単に今までの環境、方法の延長ではダメで、進化していかないといけないということ。

進化しないと進めない。

どう進化していくのか?

それは出会う人との関わり方で進化していけるのだと思う。

人は一人では変われない。

関連記事:「出会う人との関わりで進化していける」

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ますます、多くの人にお世話になることと思いますが、感謝の気持ちを忘れず進んで参りたいと思います。


本年もどうぞよろしくお願いいたします!






| 音楽 | 06:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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タブラは今日でおしまい?意根を断つ

image4.jpg


「もうタブラは今日でおしまい。今日で最後なんだからなにも考えないでやればいい。」

この言葉は、「正しい音を置いていく」にはどうしたらいいか?鬼のコーチ・山北さんに聞いたときのアドバイス。


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「リズムは自分で出さない。正しい音を置いていくだけ。」(山北健一 語録)

https://www.facebook.com/events/444253452441123/


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どういうことか?

要するに、一度身についたものを全部捨てて真っさらの状態でやるということだ。

「今まで何年もやってきたことは全部忘れろ。」

もう今日でおしまいなんだから何も考えずやる。初めて触ったときみたいにやり方も知らない、一から体験していくようにやる。ただリラックスしてやる。何も意識したり考えたりせず、ただそこにある音だけ聴く。

そういう気でやる。

これはもう禅でいう「大死一番」というものではないのか?


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「大死一番」とは、意根を断つ(死に切る、自己を忘じる) ことだと、井上貫道老師という方が言っています。

「意根」の「意」は「思い」

思考回路を離れて、いまここにある「真実」を観るということだそうです。

興味のある人は、こちらのブログをご覧ください。
http://zazen.blog.jp/archives/1038662526.html


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早速山北さんのアドバイスにしたがって練習してみた結果。。。

できた!

・・・

というお手軽な話ではもちろんない。


ただ、自分のモタリ癖のあるフレーズを聴いてもらって、もらったアドバイスは実際自分の固定観念を壊すものだった。

タブラは、言葉で覚えるので頭の中でも言葉をイメージしてしまう。でもそのインプットが正しくないのなら一回「言葉を捨てろ」ということ。

「捨てる」「離れる」「断つ」

これは、ことの外難しい。

「そういうの、よくやったりするよ。」

山北さんはさらっと言うけれど。。


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坐禅を組まずとも、正しい真実に至る過程はみな同じなのか、、とも思わせられる。

でも、こうやってあれこれ思考を巡らしていること自体、「大死一番」に反しているよ。。


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さあ、10/8(木) は、その山北さんとのライブ。

ラテンをタブラで演るのでも、コンガでインド音楽を演るのでもない。

このライブの大きな見どころは、山北さんの楽曲に新しい側面から光が当たるということ。

タブラの視点から、曲の中に発見したものが炙り出されるはずです。

是非ご期待ください!




●10/8(木) 『山北健一 x 指原一登』Percussion x Tabla

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【出演】山北健一(percussion)、指原一登(tabla)
【場所】下北沢 Circus
【時間】開場19:00/開演19:30
【料金】予約2200円/当日2800円(+1drink,food)
【予約】heatbeatmusic.mail@gmail.com, 090-4201-6885(さしはら)
【詳細】http://kazootbeat.blog47.fc2.com/blog-entry-468.html

| 音楽 | 23:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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腰へ作用する!タブラによるラテングルーヴ

lowdtabla_s.jpg

LowD(低いD音程)という、通常より1オクターブ低い音程のタブラを導入。

パーカッショニスト・山北健一さんとのリハ。

結果、かなりアンサンブルの馴染みが良くなった。



タブラとコンガでは、楽器そのものの音量や音圧もさることながら、音の線の太さがそもそも違う。

これは、インド音楽では、リズムと旋律を極限まで洗練させて発展してきた経緯があって、その音質は繊細で音をミートしていく打点が非常に細かい。

それが性質の違う楽器と組み合わさった時には、タブラの線の細さや軽さ、といった面で浮き立ってしまう場合もある。

前回の山北さんとのライブでは、その面でバランスが取りきれなかった部分がある。




ラテンのグルーブについてもずっと取り組んできているけど、ラテンは、基本ボトムに響くというか腰に作用するグルーヴだ。

それに対して、タブラは低音のグルーヴと同時に、もう少し上体に作用している感じがある。

僕の場合は、Pt.Anindo Chatterjee師匠のようなクリスタルトーンのタブラを目指しているというのもある。




音を低く太くしたことで、コンガと合わさった時の、脇や腰回りが落ち着く感じがかなり増した。

タブラによるラテングルーヴへのアプローチが、音符や理屈的なところでなく、体験的なところで深まってきている。





10/8(木) 「山北健一 x 指原一登」Duo Live @下北沢Circus が決定しました!

詳細は追ってお知らせします。

どうぞご期待ください!


| 音楽 | 23:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Don't Think! Feeeel! それが全ての始まり

「Don't Think! Feeeel!」

これは「燃えよドラゴン」の中での、ブルース・リーの有名なセリフだ。






いつのまにか、タブラという楽器を通して人生を見ている。

インドでは、幼少の頃から、その歴史と環境の中で、タブラを始める。

ただ、近年は、必ずしもそういった音楽家家系出身者だけでなく、努力して演奏家になっている人もいる。

それでも例外と言えるほどのものだ。

僕がタブラを始めたのは、成人後だったから、達者に叩く子供なんかは天才少年に見えたし、自分はもうすでに20年も遅れているんだと思うと絶望的な気持ちにもなった。



インドには毎年通って、タブラとインド音楽を学んでいるけど、そのどちらも、インドでインド人と同じ方法でやっていては到底追いつかないどころか、一年の大半は日本にいるので、普通に考えればその差は広がるばかりだ。

それこそ、日本人がインド音楽をやってる意味なんかあるのか?

だ。




タブラの叩き方、体の使い方にしても、幼少の頃から無意識的に身体に入ってきてはいないから、意識的にアプローチして掴んでいく必要がある。

そういった中で、日本人の身体性という観点から、日本の古武術の指導も受けてみた。




その中で、聞こえてきたのが「Don't Think! Feeeel!」という言葉。

言葉で直接言われたわけではない。

だけど、身体の内側で起こっている動きや感覚に対して、理屈ではなく、もっと自覚的に感じる必要があると言われた気がしたのだ。





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そして、思い返せば、僕がタブラを始めたきっかけとなったのもこの言葉。

「Don't Think! Feeeel!」

初めは楽器を手に入れるためにインドに行って、叩き方を少し手習いで覚えればいいかな程度に思っていた。

そして、人の紹介で連れて行ってもらったタブラ奏者の家で、この人に習うべきかどうか

「一日考えてから返事をする」と答えた僕に、

「Don't Think! Feeeel!」

何かをやりたいと思った時に考える必要はない、感じたその時がその時だ

と言ったのが、僕の最初の先生、Birju Devdaだ。


それが全ての始まり。

彼と、彼のこの言葉に出会わなかったら、今の自分はない。





この言葉が非常に正しいものだということが、近頃ますます実感として強くなっている。

人間は、考えれば考えるほど、過去の思考や経験に縛られる生き物だ。

当然、「新しいこと」というのは過去の経験の中にないから、考えれば考えるほど「それは無理だ。やめておこう」となる。

これは、遺伝子レベルで、現状維持の方向に思考が働くプログラムがなされているからだ。

だから考えるほど、進歩や成長から遠ざかる。






古武術に触れて喚起されたものが、身体の一体性や感覚のことだけでなく、その人生の一体性にもつながったようにも感じられた。



「その時にはわからなかった点と点が、後になって結ばれてくる。

それまでは、何でもいい、何かを信じるんだ。」(スティーブ・ジョブス)


「タブラを、インド音楽をやってく意味なんかあるのか?」


今ある点が、結ばれてくるのはまた先のことだろう。

だけど、今までよりも強く加速していくであろうことは、間違いないと思う。



| 音楽 | 14:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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料理は音楽

先日の、渡辺玲さんのキッチンスタジオ「サザンスパイス」でのプライベートディナー。

改めて料理はLIVEだと思った。料理は音楽だと思った。

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渡辺さんには、モーシン・アリ・カーン来日公演の時もお世話になったけど、いわゆるカレーとインド音楽みたいなありふれたものでは全くなかった。


料理でお客さんが感動している。

音楽でお客さんが感動している。


それは容赦も手加減もなく、たゆまぬ追求しているからこその結果だ。

基本を押さえるのは当然。安易さや手軽さや敷居を下げるといった妥協もない。

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渡辺さん曰く、最近は随分インド料理屋も増えたけど、少し習っただけでパッと開店してしまうような技術もセンスもない、いい加減な店が増えたと言っていた。

カレーはスパイスの鮮度だと聞く。だいたい普通に日本に入ってきているようなスパイスは、すでに鮮度がいいとは言えないものだそうだ。だったら自分で取りに行くし作りもする。


音楽の鮮度はどうだろう?

やはりそれも自分で取りに行くしかない。



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リアルタイムでコース料理をいただくというのはやはり別物だ。

相手に合わせたストーリー展開も間もありアドリブも瞬間の閃きもある。そして華やかさやダイナミクスが生まれる。


それが14品。

14品だ。

なんと壮大なストーリー。


しかもそれぞれとっても食べきれないほど。

余ったものは全部持って帰っていいと言う。

なんと壮大なもてなし。


実際そこには容赦も手加減もない。


渡辺さんのブログに、

”入手の容易さや手軽さより、外国の食文化をできるだけ忠実に日本に紹介したいというのが、私の根本的な考えだ。それに、ありふれた日常からのちょっとした逸脱のあった方が、食体験も印象深いはず。”

という言葉があった。


これは、ある一料理について書かれた記事からであるけど、カレー&スパイスの伝道師としての基本的な精神がうかがえる。

料理に対する忠実さとこだわりに、何より人に喜んでもらいたいという壮大なもてなし精神が加わって、逆にインドでは到底体験できないような域の世界にまで発展させていると思った。

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一流のものから学ぶのにジャンルは関係ない。至福の時と至福の学びでした。


またすぐに食べに伺いたいし、機会と条件が許せば、ガチのコラボレートもさせていただきたい。

渡辺玲さん、どうもありがとうございました。



サザンスパイス:
http://southern-spice.com




<ライブ予定>

7/4(土) 14:00 open / 14:30 start@gallery園
ヨシダダイキチ (シタール) / 指原一登 (タブラ)

http://kazootbeat.blog47.fc2.com/blog-entry-445.html

| 音楽 | 23:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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コンセプト

屋久杉_s


日本では、アマチュア音楽として捉えられてしまっている「インド音楽」であるけど、その芸術的な魅力と高度な音楽性は、今や世界中で最先端の音楽としても認識されている。

日本へも「インド音楽」が入ってきて、30〜40年にはなる。

その間変わらない国内の現状の理由のひとつには、この音楽が伝統音楽であることから、「古典」というものの据え方・取り組みが、十分に正しいベクトルで為されて来ていないという思いがある。

「古典」といわれる程の伝統というのは、ある時代のある形を枠として、そこにはまっていくことでは決してない。伝統の枠に縛られれば縛られるほど、それを打ち破るパワーが必要で、それが「古典」といわれるほど長く続く魅力となっている。

「正しいベクトル」と言ったのは、先に挙げた「芸術的な魅力と高度な音楽性」を、外に向かって丁寧に発信して行くことだ。

「丁寧に」というのは、専門用語で専門知識を一方向的に講義することではない。それを続けていては、いつまで経っても内向きなベクトルのままだ。


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『ヨシダダイキチ x 指原一登』として、シタール奏者・ヨシダダイキチさんと続けているのは、

<「インド音楽」が本来持つ、華やさ・スケール感・ダイナミズム・奥深さを本来のレベルで追求し、さらには日本人の感性や表現力を加味して発展させる>

ということを明確にコンセプトに据えて演奏することである。

こういうコンセプトを持って演奏している人は、この国では誰もいない。

『ヨシダダイキチ x 指原一登』が日本で唯一のユニットだ。


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・明確なコンセプト、そしてインド・海外との交流を通して、演奏レベルを上げていくこと。

・そして丁寧にその魅力を発信して、日本での「インド音楽」の認識のされ方を変えていくこと。

それが自分自身の活動のコンセプト。

それこそが、今後もこの音楽が衰退せず日本で存在していくための方法であって、自分自身が続けていくための方法でもある。

そしてそれが次世代にも繋げていける道でもある。


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『gallery園で聴く シタール x タブラ』

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出演:ヨシダダイキチ(sitar)、指原一登(tabla)
場所:大塚 gallery園
   東京都文京区大塚5-36-2 http://7thwave.info/gallery-en/
時間:開場14:30/開演14:30
料金:予約3000円(1ドリンク+お茶請け付き)限定20名
予約:heatbeatmusic.mail@gmail.com


限定20名様となりますので、必ず事前のご予約をお願いします。

ぜひいらしてください!

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「ターラ」って何? 波形でイメージ


「ターラ」って何?シリーズ

リズムサイクルって?

拍子が円運動する?

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<写真1>
正弦曲線_s

写真1は、正弦波と呼ばれる波形の図。

音や光の周波数とかを表すときに良く目にするものだ。
ちょうど一周が+と−、正反対の要素で出来ている。

「ターラ」も、この+と−、表と裏、正反対の性格を持つ周期だとイメージしてもらうと、分かりやすいのではないかと思う。

この正反対の性格を「緊張と緩和」という方法で表現している。

そして、この相対立するものの「さじ加減」で、緊張感や立体感や奥行きといったものを表現している。

それを無理矢理に平面図的なイメージにするとすれば、写真2のようにもなるだろう。

<写真2>
ひずみ曲線_s

※写真2は、写真1の曲線にいろいろな要素を干渉させてできたもの。
正確には、この写真の曲線では、円運動の始点を通ってなかったりとおかしい。

あくまでも、真円運動でなく、様々な作用が絡んでくるというイメージを掴んでもらうのに役立てばと思う。

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実は、こういうことは学術書や理論書には書いていない。
インドに行って、ひたすらフレーズを教わって来たとしても、実はこういうことは教えてくれない。

だから、ただ理論書に忠実に、または、教わった基本のパターンを、ただ正しく演奏したようなものは面白くないのだ。

だけど、インドでの実際の優れた演奏には、この要素が存分に詰まっていて、音楽が魅力的に輝いている。

なぜか?
秘伝だから教えてくれないのだろうか・・・?

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インドでは、この部分はいわゆる「暗黙知」になる。

※「暗黙知」については、以前の投稿をご参照ください。
「暗黙知」から「形式知」


沢山の優れた演奏に触れられる環境、長年師匠の側につき、その演奏を肌で吸収できる環境、歴史的・文化的・宗教的・哲学的背景の理解、など、経験の蓄積によって培われる類いのもの。

外国人として、成人してからこのインドの伝統音楽を学び始める者が、同じ方法ではどうしても無理がある。

そして、これは「形式知」という形で落とし込み、吸収して行くべきだ。

ということを、その投稿で書いた。

その上、

今日もうひとつ付け加えたいのは、

「形式知」に変換できれば、それを面白い形で紹介することも可能だ。

ということ。

そうやって「ターラ」ひとつでも共有出来る人が増えれば、インド音楽に限らず、様々な音楽の発展に寄与することも出来るかもしれない。

ここに至ってそれが「集合知」になる。

こういうことは、逆にインド人には出来ない強みにもなる。

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「ターラ」のなにが面白いのか?

実際、カウント法を交えるとまたすごく面白い。

なかなか文字だけで書くにも難しいところがあるので、ワークショップなんかで実体験してもらえるといいかも。



| 音楽 | 01:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ターラ」ってなに? 「ターラ」と「ラテングルーヴ」

山北さん1_s

グルーヴに関して、一切妥協を許さないパーカッショニスト・山北健一さんに、
ラテングルーヴの「安定と緊張」という秘訣を教えてもらった。

これはインド音楽で「ターラ」と呼ばれる、周期的なリズムを表すものが、
「緊張と緩和」によって成り立っているのと通じる。


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辞典などには、「ターラ」の分類や構造についての知識的な記述は沢山ある。

だけど、そういう知識の部分は、よっぽど興味のある人以外には、
もしくは仮に音楽をやっていてリズムに興味があったとしても、
実際に読んだだけでは良く分からないところのものだ。

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では、実際にその「ターラ」を演奏するには、また「ターラ」を聴いて楽しむにはどうすればいいのか?


実際の演奏では、この記述されている知識通りに、
基本のリズムパターンを演奏すればいいと言うようなものではない。

メトロノームのように正確に演奏するだけでは「ターラ」にはならない。

円16等分



「ターラ」が表してるのはリズムサイクル。

なぜ、サイクルなのか?


インド音楽が表現しようとするのは、感情や情緒(個人的なものではなく、多分に詩的なもの)。

その中に揺らぎや変化といった美しさを表そうとすると、
大河の流れや、長い年月をかけて刻まれる大樹の年輪のようなスケールが必要になってくる。
そのため、演奏時間も必然的にスケールの大きいものになる。


自然の摂理には全て周期がある。
哲学にも通ずるところだけど、幾日も何年もかけて全てのものが循環している。

表現しようとするものがあって、その方法なのだ。
手法があって、その中で表現しているのでは、本来的には、ない。


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そして、このサイクルが回すためには「緊張と緩和」を生み出していく必要がある。


インド音楽上では、さらに「緊張と【解決】と緩和」という要素が加わって、
ダイナミズムや面白さを生み出されている。

この辺は、深いし、色々書けそうので、また次回に繋げたい。


「ターラ」にも「ラテングルーヴ」にも、ずっと聴いていられる、聴いていたい、
その本質的な要素では通じるものがあったのだ。





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伝統継承の作法 〜インド音楽じゃ食えない〜

「観阿弥・世阿弥から約700年、観世流二十六世観世清和のことば」





日本にも約700年、
様々な時代、室町時代、戦国時代、安土桃山、江戸時代、開国、世界大戦、敗戦等を経て、
21世紀の今も続く伝統がある。

世界最古の演劇で、ユネスコの世界無形文化遺産にも指定されている能楽。

http://www.nippon.com/ja/views/b02801/





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室町時代より続く二十六世観世清和さんの伝統に対する見解は、


・「長い歴史の中で、伝統の枠に縛られれば縛られるほど、
  それを打ち破っていこうとするエネルギーが生まれてきた」

・「そうしたパワーがないと、演劇としての魅力を失っていってしまう」

・「守るために攻めるという葛藤の連続があってこそ、今日まで伝統を伝えることができた」



そして、芸に関しては、



・「一番大事なのは、おのれの芸を磨いて、おのれの芸を到達点へ持っていく」

・「教わって学んで、自分で昇華して、その結論を出していかないと駄目だ」



それは、


・「コピーでは生きた芸として伝わらない」


という言葉に集約されている。

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能楽に限らず、インド古典に限らず、世界中の様々な芸能が、何百年と生き残るには、
途方も無い試行錯誤と創造性が必要なのだ。



日本では、インド音楽を「悠久のインド」「神秘のインド」などと言ってきた。

でもそれは、長い伝統を守っていくこととも、そのために必要な打ち破るエネルギーとも、
攻めの葛藤、生きた芸とも切り離された別ものだ。


今のようなインターネットもなく、インドがまだ遠い国だった数十年前までは、
「悠久」「神秘」「神々の」といった表面上の言葉が通じてしまう環境があったかもしれない。。
にわか仕込みでも、好景気やバブルの頃は、それでお金も動いたかもしれない。。



でも、もう完全に無理でしょ?


今の時代には完全に通用しない。



情報も動画も世界中で見れてしまう世の中にあっては、
それを別の音楽として発展させていく(発展させていく意志とエネルギーがあれば)ということは可能でも、
「インド古典音楽」というからには「インド古典音楽」であるもの以外は
「インド古典音楽」としては通用しない。



インドでも、巨匠から、そして現場のミュージシャンから聞く言葉は、


『コピーをするな。いい演奏から沢山学び、生きた音楽を演奏しろ。』





二十六世観世清和さんも、さずがに「悠久の能」「神秘の能」とは言わないであろう。


動画の中では、伝統継承の作法として、
「良い形で受け継いでいってもらうために、能楽の開かれた世界を自分が構築させて頂く」
という意味のことを言っている。


とにかく、まず世界が閉じていては駄目、
外に開いていく力と、開かれた世界が必要なのは間違いない。



| 音楽 | 19:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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